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脳卒中インタビュー

長谷川祐三・千葉県がんセンター脳神経外科医師

長谷川祐三・千葉県がんセンター
脳神経外科医師に聞く

がん治療中の脳卒中に注意
——意外と多い“トルソー症候群”の最新知識

( 2016/06/24 )

長谷川 祐三(はせがわ・ゆうぞう)

2001年千葉大学医学部卒業。専門は脳腫瘍の治療。日本脳神経外科学会認定専門医・指導医、日本脳卒中学会脳卒中専門医、日本がん治療認定医機構がん治療専門医。

ポイント

  • がんの治療中に発症する脳卒中の約4分の1はトルソー症候群という病気の可能性があります。
  • トルソー症候群はがん細胞が分泌するムチンやサイトカイン、組織因子などの物質が血栓の形成を促進することによって起こります。
  • 治療はヘパリンやワルファリンを使った抗凝固療法が一般的で、最近では直接作用型経口抗凝固薬DOACが注目されています。
  • がん治療中の方は全身状態を良好に保ち、水分補給を心がけ脱水状態にならないように心がけることが大切です。

 がん細胞が分泌する物質が原因で心房内に血栓ができ、それが血流にのって脳塞栓を引き起こすケースがあります。最初に報告した医師の名前を取って“トルソー(Trousseau)症候群”と呼ばれています。トルソー症候群の患者を数多く診て来た千葉県がんセンターの長谷川祐三先生にお話を伺いました。

トルソー症候群とはこんな病気

がんを治療中の患者さんが脳卒中になると一部の方はトルソー症候群という病気になる可能性があるそうですが、トルソー症候群とはどのような病気でしょうか。

 トルソー症候群はトルソーというフランスの神経内科医が19世紀に発見した病気で、がんの合併症の1つである静脈血栓塞栓症、狭い意味ではそれを伴う脳卒中を指します。がんは浸潤や転移などで患者を苦しめますが、同時にムチンやサイトカイン、組織因子など血管や心臓の内部に血栓をできやすくするということも行っています。こうした状態を血液凝固能が上昇しているといい、血栓が血流に乗って脳に流れ着くと脳卒中を引き起こす原因になります。このようなタイプの脳卒中をトルソー症候群と定義しています。

トルソー症候群の患者さんはどのくらいの頻度で発症しているのでしょうか。

 私が勤務する千葉県がんセンターでは過去5年の間に、がん治療を目的に通院もしくは入院していた患者さんのうち81人の方が脳卒中を発症しました。血液検査などによって血液凝固能が亢進しているかどうかを検討した結果、20人ほどがトルソー症候群と診断されました。つまり、がん治療中の方で脳卒中を発症した4人に1人がトルソー症候群ということになります。
 またがん患者さんは脳卒中のほかに深部静脈血栓症、肺塞栓症などの血栓を原因とする病気になりやすいことも知られており、こうした病気への警戒も必要です。下肢の太い静脈の血流が遮断されると、ふくらはぎが腫れて痛み、圧痛、熱を持った感覚が現れることがあります。肺塞栓症では胸の痛みや息切れが生じます。

トルソー症候群の発症しやすいがんの種類はありますか。

 卵巣がんや乳がんなどの女性がかかりやすいがんに多いといわれています。
 卵巣がんは特に多い傾向があります。若年の女性が脳卒中になり、検査したところ凝固能の亢進が認められた場合は、体の中にがんが生じている可能性がありますので、がんを探す検査を実施することがあります。また脳卒中の女性に卵巣がんが見つかり、トルソー症候群であったことが明らかになるという例もあります。

脳卒中を発症したがん患者さんに対してはどのような検査をしますか。

 血液凝固能が亢進しているかどうかを確認するために「Dダイマー検査(※1)」と「BNP検査(※2)」を行っています。Dダイマーが高い値を示すと体内に血栓が形成されていることを示します。BNPは心臓から分泌されるホルモンで心不全の有無を調べる検査で、この値が高いとトルソー症候群よりも心臓疾患由来の脳梗塞を疑います。
 以上の検査と他に原因が見当たらない場合、トルソー症候群と診断します。

※1 血管の中に血栓がどれくらいできているかを判定する検査。値が高くなると血栓ができていることを示します。
※2 心不全の程度を判定する検査。
   心臓の障害の程度を知ることによって、血栓が脳に飛んで塞栓を起こしているのかどうかを判定する手がかりになります。

トルソー症候群の治療

トルソー症候群と診断された後の治療はどのように行うのでしょうか。

 基本は薬物による抗凝固療法を行います。抗血栓療法には、凝固の働きを抑制する「抗凝固療法」と血小板の働きを抑制する「抗血小板療法」があります。脳梗塞の予防には抗血小板療法を用いることが多いのですが、トルソー症候群を含む心房からの脳塞栓には抗凝固療法を行います。
 最も歴史がある抗凝固療法薬はワルファリンです。米国では低分子ヘパリンの注射ががん患者の血栓症に最初に行われますが、日本では適応がありませんので主として飲み薬のワルファリンが使われてきました。

がんの治療と並行してトルソー症候群の治療を受けることに支障が出ることはありませんか。

 あります。ワルファリンは主に肝臓の酵素で代謝されます。一方で抗がん薬の多くも肝臓で代謝されます。肝臓の中の酵素にはいくつか種類がありますが、ワルファリンを代謝する酵素が分解するタイプの抗がん薬を使っている場合、薬の作用が強く出る、あるいは期待した効果が得られないということがあります。肝代謝の酵素が重複しない薬剤を使用することが必要になります。
 ワルファリン自体、効果が出る血中濃度と副作用が出る血中濃度差が小さく、しかも薬物代謝に個人差があり、安全に使うことが難しい薬剤です。
 一方、最近になって直接作用型経口抗凝固薬(DOAC)という薬剤が出てきました。まだ使用が始まって間もなく、実証が十分とはいえないのですが、このタイプの薬剤は肝臓と腎臓の両方で代謝されるものが多く、血中濃度の安全域も広いのでワルファリンに比べて使いやすい薬剤です。またワルファリンとDOACとの比較試験から、がん患者さんにおいても効果は同等以上で出血傾向などの副作用はDOACの方が少ないことが明らかになっています。今後はワルファリンからDOACに主役が代わっていくと思います。

がん患者がトルソー症候群を予防するために

がん患者さんがトルソー症候群にならないように努力できることがありますか。

 がんに原因がありますから、がんの治療が進めば、発症リスクは低下します。まず全身の状態が良好であることが重要です。抗がん薬の副作用で嘔吐が激しい場合など、脱水状態が続くと血液凝固能が高まりトルソー症候群になりやすくなります。脱水に注意しながらがんの治療を進めることがトルソー症候群や静脈血栓塞栓症を予防することになります。
 今後、研究が進めばトルソー症候群になりやすい患者さんを選んで、より効果的な介入ができるようになると期待されます。

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